
子宮内膜スクラッチングは着床率を改善する可能性があるとして注目されてきた処置ですが、2019年の大規模ランダム化比較試験(RCT)で効果が否定されて以降、その位置づけは大きく変わりました。現在は「一部の患者に限定的な有用性があるかもしれない」という慎重な評価にとどまっています。この記事では、メカニズムの仮説・エビデンスの変遷・施術方法の違いを整理し、治療選択の判断材料をご提供します。
要約
処置名 | 子宮内膜スクラッチング(子宮内膜擦過) |
|---|---|
目的 | 着床率・妊娠率の改善(効果については議論中) |
実施タイミング | 移植周期の前周期黄体期、または移植周期の増殖期(施設により異なる) |
主な方法 | ピペル生検、ヒステロスコピー下擦過など |
現在の学会見解 | ESHRE・ASRM ともに「ルーチン使用は推奨しない」 |
対象となりうる患者 | 反復着床不全(RIF)患者で個別判断する場合あり |
子宮内膜スクラッチングとは何か
子宮内膜スクラッチングとは、細い器具で子宮内膜の表面をわずかに傷つける(擦過する)処置です。「スクラッチング」「子宮内膜擦過術」「内膜スクラッチ」とも呼ばれます。体外受精(IVF)や凍結融解胚移植の前処置として、着床環境を整える目的で行われることがあります。
処置自体は外来でできる簡便なもので、所要時間は5〜10分程度です。子宮鏡や生検カテーテル(ピペル、スパイラルバイオプシーカテーテルなど)を子宮腔内に挿入し、内膜を軽く掻き取ります。麻酔は通常不要ですが、強い月経痛に似た痛みを感じる場合があるとされています。
2003年ごろから肯定的な小規模研究が相次ぎ、2010年代に国内外のクリニックで広く普及しました。しかし2019年の大規模RCTで有効性が否定され、現在は学会ガイドラインでもルーチン実施は推奨されていません。
作用メカニズム:3つの仮説の比較
スクラッチングがなぜ着床に影響しうるのか、現在提唱されている主な仮説は3つです。いずれも確定的な証拠には乏しく、「仮説」の段階にとどまっています。
仮説1:創傷治癒仮説(Wound Healing Hypothesis)
内膜を意図的に傷つけることで創傷治癒反応が起き、着床に関わるサイトカインや成長因子(EGF、IGF-1など)の局所濃度が上昇するという考え方です。組織修復の過程で内膜の「着床ウィンドウ」が延長・強化されると想定されています。動物実験レベルでの支持は一定あるものの、ヒトの臨床転帰改善に直結するかは未確認です。
仮説2:サイトカイン・免疫調節仮説
擦過刺激によって自然免疫が活性化し、マクロファージやナチュラルキラー(NK)細胞が動員されます。これにより子宮内環境の免疫トレランス(胚を異物と認識しにくくする状態)が誘導され、着床成功率が上がるとする説です。反復着床不全患者で子宮内膜NK細胞のバランス異常が報告されていることと合わせて論じられることが多いですが、因果関係は確立していません。
仮説3:脱落膜化促進仮説
擦過刺激が子宮内膜間質細胞の脱落膜化(妊娠に備えた変化)を促進するという考え方です。脱落膜化が不十分な患者では着床障害や早期流産が起きやすいとされており、スクラッチングがその改善につながる可能性が示唆されています。2020年代に入り、慢性子宮内膜炎や内膜受容能異常との関連で再評価されつつある仮説です。ただし臨床的な検証はまだ限られています。
3つのメカニズム仮説の比較 | |||
仮説 | 主な作用 | 関連因子 | エビデンスレベル |
|---|---|---|---|
創傷治癒仮説 | 成長因子・サイトカインの局所増加 | EGF、IGF-1、VEGF | 動物実験レベル |
サイトカイン・免疫調節仮説 | 子宮内免疫トレランスの誘導 | NK細胞、マクロファージ | 観察研究レベル |
脱落膜化促進仮説 | 内膜間質細胞の脱落膜化促進 | PRL、IGFBP-1 | 基礎研究・一部臨床研究 |
エビデンスの変遷:肯定から否定へ
スクラッチングのエビデンスは、過去20年間で大きく揺れ動いてきました。その経緯を年表形式で整理します。
初期の肯定的RCT(2003〜2012年)
2003年、Barash らがイスラエルで実施した小規模RCT(66例)を発表しました。反復着床不全患者において、移植前周期にピペル生検を行ったグループで妊娠率が有意に高かったと報告され、大きな注目を集めました(妊娠率 66.7% vs 30.3%)。その後、同様のデザインで肯定的な結果を示す研究が複数報告され、2012年ごろまでに「スクラッチングは有効」という認識が広がりました。ただし、これらの研究は規模が小さく、盲検化が不十分なものが多く含まれていました。
大規模RCTによる否定(2019年)
2019年、Lensen らがニュージーランドを中心とした多施設共同RCT の結果を The New England Journal of Medicine に発表しました。対象は IVF または凍結融解胚移植を予定する女性 1,364 例で、スクラッチング群と対照群(擬似処置群)を比較した大規模試験です。
結果は明確でした。出産率はスクラッチング群 26.1%、対照群 26.1% と差がなく(RR 1.00、95%CI 0.85–1.18)、流産率・臨床妊娠率・継続妊娠率にも有意差は認められませんでした。この論文は「初回移植患者にスクラッチングをルーチンに行う根拠はない」という結論を支持するものとして、学会のガイドライン改訂に影響を与えました。
現在の学会見解(2020年代)
ESHRE(欧州生殖医学会)は 2023 年版ガイドラインで、「反復着床不全患者に対する子宮内膜スクラッチングはルーチンに推奨しない(条件付き推奨・エビデンスレベル低)」と明記しています。ASRM(米国生殖医学会)も同様の立場をとっており、「一定の患者サブグループでは有用かもしれないが、現時点では十分なエビデンスがない」としています。
日本では生殖医療学会の統一見解は明示されていませんが、多くのクリニックで「反復着床不全患者に限定した選択肢」として位置づけられるようになっています。
エビデンス変遷の年表 | ||
年 | 出来事 | 影響 |
|---|---|---|
2003 | Barash et al. RCT発表(肯定的) | スクラッチング注目の契機 |
2003〜2012 | 小規模肯定的RCT相次ぐ | クリニックへの普及 |
2015 | Cochrane Review(初版):効果ありと示唆 | 一時的に根拠強化 |
2019 | Lensen et al. 大規模RCT(NEJM):効果なし | ルーチン実施への疑問 |
2021 | Cochrane Review(更新版):初回移植では効果不明確と修正 | エビデンス評価の見直し |
2023 | ESHRE ガイドライン:ルーチン推奨しない | 標準治療から外れる |
施術のタイミングと方法:施設間の差異
スクラッチングを実施する場合でも、タイミングや使用器具は施設によって大きく異なります。標準化されたプロトコルがなく、比較が難しいこともエビデンスの質を下げる一因とされています。
タイミングの違い
最も多いのは「移植周期の前周期黄体期(LH サージまたは hCG 注射後 3〜10 日目)」での実施です。創傷治癒が翌周期に完了することで着床ウィンドウが最適化されるという仮説に基づいています。一方、移植周期の増殖期(月経 5〜9 日目)に行う施設もあります。前者は準備期間が長く患者の来院回数が増える点が課題です。
使用器具の違い
ピペル生検カテーテル(Pipelle de Cornier)が最も広く使われており、外来で麻酔なしに実施できます。一方、ヒステロスコピー(子宮鏡)を使用して内膜を直視下で擦過する施設もあります。ヒステロスコピーは同時に子宮腔内の観察(ポリープ・癒着の確認)ができる利点がありますが、コストと侵襲性が高くなります。
施術タイミングと方法の施設間差異 | ||
項目 | 方法A | 方法B |
|---|---|---|
タイミング | 前周期黄体期(LHサージ後3〜10日) | 移植周期の増殖期(月経5〜9日目) |
主な器具 | ピペル生検カテーテル | ヒステロスコピー下擦過 |
麻酔 | 通常不要 | 局所麻酔または静脈麻酔 |
所要時間 | 5〜10分 | 15〜30分(処置全体) |
付加的情報 | なし | 子宮腔内の同時観察が可能 |
コスト | 比較的低い | 比較的高い |
回数 | 1〜2回/周期 | 1回/周期 |
擦過の深さ・回数・部位についても施設間で統一されておらず、この不均一性が「どの条件でスクラッチングが有効か」を検討する際の障壁になっています。
反復着床不全(RIF)患者への応用
現在スクラッチングが「検討対象となりうる」のは、主として反復着床不全(RIF:良質胚を3回以上移植しても妊娠に至らない状態)の患者です。ただし、RIF 自体の定義が施設によって異なり、エビデンスも限られているため、国際的に統一されたガイドラインの推奨はありません。
2021 年の Cochrane Review では、RIF 患者に限定したサブグループ解析で出産率の改善が示唆された研究もありますが、研究数が少なく、バイアスリスクが高いと評価されています。現時点では「RIF 患者においても有効性は未確立」というのが国際的なコンセンサスです。
臨床現場では、子宮内膜受容能検査(ERA)・子宮内フローラ検査(EMMA/ALICE)・慢性子宮内膜炎の診断と組み合わせて、患者ごとの着床不全の原因を絞り込んだうえでスクラッチングを選択するアプローチが議論されています。
注意点とリスク
スクラッチングは比較的低侵襲な処置ですが、いくつかの点に注意が必要です。
処置に伴う痛みは月経痛に似た下腹部痛で、個人差があります。処置後数日間は少量の出血や軽いけいれん様の不快感が続く場合があります。感染リスクは低いものの、ゼロではなく、クラミジア等の感染症がある場合は処置前の検査が推奨されます。
また、スクラッチングを実施することで移植周期がずれる場合があります(特に前周期黄体期に行う場合)。来院回数が増えることによる身体的・経済的な負担も考慮が必要です。費用は自由診療で1回あたり数千円〜数万円と施設により幅があります。
なお、活動性の子宮内感染・子宮頸管炎がある場合や、子宮奇形の種類によっては実施が適さない場合があります。担当医との十分な相談のうえで判断することが大切です。
よくある質問(FAQ)
スクラッチングは保険適用されますか?
2024年時点、子宮内膜スクラッチングは公的医療保険の適用外です。費用は施設や方法によって異なり、自由診療として数千円〜2〜3万円程度の設定が多いとされています。
着床に失敗したことがない人でも受けた方がいいですか?
現在のエビデンスでは、初回移植や着床失敗歴のない患者への有用性は示されていません。Lensen らの大規模 RCT(2019)でも、一般的な IVF・凍結胚移植患者では効果が認められませんでした。担当医と個別に相談して判断することをお勧めします。
何回受ければ効果が出ますか?
回数と効果の関係は明確にされていません。多くの研究では1〜2回の実施を検討しています。複数回実施することの追加的な有用性については現時点では不明です。
スクラッチングで妊娠率は何パーセント上がりますか?
2019 年の大規模 RCT では、スクラッチング群と対照群の出産率は同率(26.1% vs 26.1%)でした。特定の患者サブグループでの改善を示した小規模研究はありますが、一般的な患者に対して「何パーセント上がる」と断言できるエビデンスは現時点では存在しません。
スクラッチングの痛みはどのくらいですか?
個人差が大きいものの、「強い月経痛」程度と表現する患者が多いとされています。ヒステロスコピーを使用する場合は処置前に局所麻酔を行う場合があります。処置後も数日間、軽い下腹部痛や出血が続くことがあります。
スクラッチングは流産率を上げますか?
Lensen らの大規模 RCT では、流産率についてもスクラッチング群と対照群で有意差は認められませんでした。現時点で流産リスクを高めるという明確なエビデンスはありませんが、長期的な影響についての大規模データは限られています。
反復着床不全と診断されています。スクラッチングは有効ですか?
RIF 患者を対象とした一部の研究では改善が示唆されたものもありますが、全体的なエビデンスは依然として不十分です。ESHRE 2023 ガイドラインは RIF 患者に対してもルーチン実施を推奨していません。まずは着床不全の原因精査(ERA・慢性子宮内膜炎の除外・子宮形態の評価など)を行ったうえで、担当医と相談することが重要です。
いつ頃から研究されている処置ですか?
臨床研究として本格的に注目されたのは 2003 年の Barash らの報告以降です。2010 年代に世界的に広がりましたが、2019 年の大規模 RCT を機に有効性の評価が大きく見直されました。現在も RIF サブグループへの応用を中心に研究が続いています。
まとめ
子宮内膜スクラッチングは、2003 年以降に注目を集め、一時は多くのクリニックで広く実施されてきた処置です。しかし 2019 年の大規模 RCT(Lensen et al., NEJM)で一般的な IVF・凍結胚移植患者への有効性が否定され、現在は ESHRE・ASRM ともにルーチン実施を推奨していません。
メカニズムについては「創傷治癒仮説」「サイトカイン・免疫調節仮説」「脱落膜化促進仮説」の 3 説が提唱されていますが、いずれも確定的なエビデンスには至っていません。施術のタイミングや方法が施設間で大きく異なることも、エビデンス解釈を難しくしている要因の一つです。
現時点では「反復着床不全(RIF)患者において、他の原因が除外された後の選択肢として個別に検討される」という位置づけが主流です。担当医との十分な対話のうえで、自分の状況に合った判断をすることが大切です。
この記事の参考文献
- Lensen S, et al. A Randomized Trial of Endometrial Scratching before In Vitro Fertilization. N Engl J Med. 2019;380(4):325-334.
- Barash A, et al. Local injury to the endometrium doubles the incidence of successful pregnancies in patients undergoing in vitro fertilization. Fertil Steril. 2003;79(6):1317-1322.
- Vitagliano A, et al. Endometrial scratching for women with repeated implantation failure. Cochrane Database Syst Rev. 2021;3(3):CD013037.
- ESHRE Working Group on Recurrent Implantation Failure. ESHRE guideline on recurrent implantation failure. 2023.
- Practice Committee of the ASRM. Recurrent implantation failure: a committee opinion. Fertil Steril. 2021;116(1):1-9.
免責事項:本記事は医療情報の提供を目的としており、特定の治療法の推奨・診断を行うものではありません。治療方針については必ず担当医にご相談ください。
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