
不妊治療のために退職することを、後から後悔している人は思ったより多い。Aさん(35歳)は体外受精3回目のタイミングで仕事を辞め、半年後にこう話してくれた。「採卵のたびに有給を削るのが限界で、辞めることしか考えられなかった。でも今は、もう少し会社に相談してみればよかったと思っている」。
退職は「治療に集中できる」という明確なメリットがある一方、収入減・キャリア断絶・社会的孤立という重いデメリットを伴う。この記事では、不妊治療のために退職した体験談を軸に、経済的な実数、退職前に知っておくべき制度、そして「退職しなかった場合の選択肢」を実用的にまとめた。
この記事のポイント
- 退職後に後悔する主な理由は「収入減」「治療結果が変わらなかった」「孤立感」の3つ
- 退職前に使える制度(時短勤務・不妊治療休暇・傷病手当金)を知らずに辞める人が多い
- 「退職か継続か」の判断は、治療ステージ・職場環境・家計状況の3軸で整理できる
- それでも退職を選んだ場合、家計を守る具体的なアクションがある
退職した体験談:後悔のリアル
退職後に後悔した人が挙げる理由は、大きく「お金」「結果」「孤立」の3パターンに集約される。体験談を通じて、それぞれの実態を見てみよう。
後悔1:思った以上にお金が出ていった
Bさん(38歳・元看護師)は、退職後の生活をこう振り返る。「月収28万円がゼロになって、治療費だけで月12万〜20万円かかった。貯金を取り崩しながらの1年半。夫への申し訳なさが積み重なって、精神的にも追い詰められた」。
不妊治療の費用は治療ステージによって大きく異なる。厚生労働省の調査(2022年)では、体外受精1周期あたりの自己負担額(保険適用後)は平均3万〜15万円。保険適用外の検査・薬剤・オプション治療を加えると、実費は月10万円を超えるケースも珍しくない。
治療ステージ | 1周期あたりの目安費用 | 年間換算(6周期) |
|---|---|---|
タイミング法・人工授精 | 1万〜3万円 | 6万〜18万円 |
体外受精(保険適用) | 3万〜15万円 | 18万〜90万円 |
体外受精+先進医療 | 10万〜30万円 | 60万〜180万円 |
収入がなくなった状態でこの費用を支払い続けるのは、家計に相当な圧力をかける。「辞めなければよかった」という後悔の背景には、多くの場合この経済的現実がある。
後悔2:治療結果が仕事の有無に関係なかった
Cさん(36歳)は退職から1年後、「働いていても同じ結果だったかもしれない」と気づいた。「ストレスをなくせば授かれると信じていたけど、退職してもプレッシャーはなくならなかった。むしろ『早く結果を出さないと』という焦りが増した」。
不妊の原因が職場ストレスと直結している場合は少ない。日本生殖医学会のガイドラインでも、ストレス軽減が妊娠率を直接改善するというエビデンスは現時点で確立されていない。「休めば授かれる」という前提で退職を決めると、期待が外れたときのダメージが大きくなる。
後悔3:社会とのつながりが切れた孤立感
「専業主婦になって、最初の1〜2か月は解放感があった。でも3か月目から急に孤独になった」というのはDさん(34歳)の体験談だ。治療の待ち時間、陰性判定の日、次の周期まで待つ期間——仕事があれば気が紛れた時間が、白紙になる。
人とのつながりが治療中のメンタルを支える要素になっていることは多く、退職によってその緩衝材を失うと、治療ストレスが直撃しやすくなる。
退職前に必ず確認する3つの制度
退職を決める前に、職場で使える制度を確認することが最初のステップだ。多くの人が「そんな制度があることを知らなかった」と後から気づく。まずは以下の3つを職場のイントラネットや人事部に確認しよう。
ステップ1:不妊治療のための特別休暇・時短勤務
2022年4月施行の「不妊治療と仕事の両立のための職場環境整備」(厚生労働省)により、企業に対して不妊治療支援の取り組みが促進されている。2024年時点で年間5日以上の特別休暇を設ける企業が増加中。有給休暇とは別に取得できるため、採卵・移植ごとに有給を消化する負担が軽減される。
- 確認先:就業規則・人事部の福利厚生担当
- 「不妊治療休暇」「特定治療支援休暇」という名称が多い
- 取得実績がなくても制度が存在する企業は多い
ステップ2:時短勤務・フレックス・在宅勤務
採卵前後のホルモン治療や定期的な通院は、午前中に集中することが多い。フレックスタイム制や在宅勤務を組み合わせれば、フルタイムを維持したまま通院スケジュールを組める場合がある。まずは上司や人事に「不妊治療中で通院が必要」と相談することが、退職より先のアクションになる。
ステップ3:傷病手当金の活用(退職後も継続受給できる)
健康保険の被保険者が病気・けがで仕事を休む場合、傷病手当金(標準報酬月額の3分の2)を最長1年6か月受給できる。退職後も、退職日時点で受給していた場合は継続受給が可能だ。不妊治療は傷病手当金の対象外になることが多いが、ホルモン治療による体調不良や採卵後の入院が絡む場合は適用できることがある。加入している健康保険組合に事前に確認を。
「退職すべきか」の判断フロー
退職か継続かの判断は、「治療ステージ」「職場環境」「家計状況」の3軸を整理してから行う。この3軸が揃わないまま感情的に決断すると、後悔のリスクが高まる。
判断軸1:治療ステージ
- タイミング法・人工授精段階:通院頻度は月1〜3回程度。有給・フレックスで対応できる可能性が高い。退職は時期尚早なことが多い。
- 体外受精1〜2周期目:採卵前後の通院が週2〜3回になる期間あり。特別休暇・時短で乗り越えられるか職場と交渉する価値がある。
- 体外受精3周期以上・高齢(40歳以上):治療の密度・精神負担が高まる段階。職場環境が整わない場合、退職・休職の検討が現実的な選択肢になる。
判断軸2:職場環境
職場環境 | 退職の必要性 |
|---|---|
上司に相談できる・制度がある | 継続を検討。制度フル活用で両立可能な場合が多い |
制度はあるが職場の雰囲気が悪い | 休職・部署異動を先に検討。退職は最終手段 |
制度がなく、配慮も得られない | 退職または転職を本格検討する段階 |
判断軸3:家計状況
退職前に「退職後の月次収支」を試算することが欠かせない。以下はモデルケースだ。
- 夫月収35万円、月の支出25万円、治療費月10万円:退職後の収支はほぼゼロ。貯蓄を取り崩す生活になり、治療が長引くほど家計が圧迫される。
- 夫月収50万円、月の支出20万円、治療費月10万円:月20万円のバッファがある。1〜2年の退職であれば家計への影響は限定的。
「退職して治療に集中する」という選択を後悔しないためには、何周期まで治療を続けるかという期間の上限を、退職前にパートナーと話し合っておくことが重要だ。
退職せずに両立した体験談
「退職しなかった」ことを選んだ人の体験談も、同じくらい参考になる。退職以外の選択肢が実際にどう機能したかを紹介する。
時短勤務+有給の組み合わせ
Eさん(37歳・会社員)は、採卵周期だけ時短勤務(10時〜16時)に切り替え、移植後は有給を使うというサイクルで体外受精3周期を乗り越えた。「上司には正直に話した。最初は言いにくかったけど、言ってしまったら意外とスムーズだった。むしろ理解してもらえて、気持ちが楽になった」。
不妊治療に理解がある職場への転職
Fさん(35歳)は治療開始前に転職した。「今の職場はくるみんマーク取得企業で、特別休暇が年7日ある。転職してから治療を始めたので、前の職場で辞めなくてよかったと思っている」。くるみんマーク(子育てサポート企業認定)やえるぼし認定企業は、両立支援に積極的な職場の目安になる。
休職制度を利用した一時離脱
Gさん(39歳)は採卵〜移植の2か月間だけ休職を取得。「退職ではなく休職にしたことで、社会保険が継続でき、復帰後のポジションも保障された。経済的な安心感が治療中のストレスを大きく下げてくれた」。休職中は給与が出ないケースが多いが、雇用関係は継続するため社会保険料は折半が維持される。
それでも退職した後のアクションプラン
退職を決意した、あるいは既に退職した場合のステップを整理する。後悔を減らすために、退職後の生活設計を早期に固めることが最優先だ。
ステップ1:国民健康保険への切り替えと任意継続の比較
退職後は健康保険の選択が必要になる。
- 任意継続被保険者制度:退職前の保険をそのまま最大2年継続。保険料は退職前の標準報酬月額をもとに計算(全額自己負担)。クリニックが変わらず、傷病手当金の継続受給要件も満たしやすい。
- 国民健康保険:前年の所得をもとに保険料を算出。収入がなければ軽減措置がある。
どちらが有利かは収入・居住地・治療計画によって異なる。退職後20日以内に判断が必要なため、退職前に試算しておくこと。
ステップ2:治療期間と予算の上限を設定する
「いつまで治療を続けるか」を決めずに退職すると、出口が見えない焦りが蓄積する。まずは「体外受精〇回まで」「退職後〇年以内」という期間の目標を設定し、その範囲内での治療費上限額を試算する。医師とも治療計画について話し合い、現実的なロードマップを描こう。
ステップ3:孤立を防ぐためのつながりを意識的に確保する
退職後に孤立を感じる前に、以下の選択肢を準備しておくことを勧める。
- 不妊治療の当事者コミュニティ(オンライン・オフライン)への参加
- 心理士・カウンセラーへの定期的な相談(クリニック内のカウンセリングサービスも活用可)
- 治療以外の日常活動(週1〜2回の外出習慣・趣味・ボランティア等)
退職を「正解」にするための考え方
退職が後悔になるかどうかは、退職後の行動で大きく変わる。「退職したこと自体」が問題ではなく、「退職後に何をしたか」が結果を分ける。
退職した体験者の中には、「あの時間があったから自分と向き合えた」「パートナーとの関係が深まった」「治療以外の選択肢(特別養子縁組・DI・子なし人生)について初めて真剣に考えられた」と語る人も少なくない。
退職は「治療のための手段」だ。手段に正解・不正解はなく、その後の使い方次第で意味が変わる。大切なのは、退職を決めた理由を自分の言葉で持ち続け、次の行動につなげることだ。
よくある質問(FAQ)
Q. 不妊治療のために退職して後悔している。今からできることはありますか?
退職後であっても、国民健康保険の軽減申請、ハローワークの給付延長申請(再就職を将来的に考えている場合)、不妊治療助成金の申請(自治体ごとに異なる)など、経済的な手当てを進めることが最初のアクションになる。まずは市区町村の窓口または社会保険労務士に相談することを勧める。
Q. 夫の収入だけで不妊治療を続けることは現実的ですか?
夫の手取り収入・月々の固定費・治療費の試算によって異なる。体外受精を保険適用で行う場合、1周期あたりの自己負担は3万〜15万円程度。年間6周期行うと最大90万円程度が必要になる計算だ。生活費と治療費を合計した月次支出が夫の月収を下回っているかを数字で確認するのが判断の第一歩になる。
Q. 退職せずに不妊治療を続けるにはどの制度を使えばよいですか?
まず確認すべき順番は次のとおり。1)社内の不妊治療特別休暇・時短勤務制度、2)有給休暇の計画的取得、3)フレックスタイム・在宅勤務の組み合わせ。これらで対応できない場合に、4)休職、5)転職を検討する。退職は最終手段として位置づけることで、選択肢を広く持てる。
Q. 不妊治療休暇が職場にない場合、会社に制度をつくるよう求めることはできますか?
法律上の義務化はされていないが(2024年時点)、厚生労働省は事業主に対して不妊治療支援を「努力義務」として求めている。「両立支援等助成金(不妊治療両立支援コース)」を利用すると企業側が最大30万円の助成を受けられるため、人事部にこの制度を紹介しながら交渉するアプローチが有効な場合がある。
Q. 退職してから治療がうまくいかず、精神的に追い詰められています。
治療結果が出ない期間に退職による経済的プレッシャーも重なると、精神的な負荷は通常の何倍にもなる。こうした状況では、専門のカウンセラーへの相談が有効だ。不妊専門の心理士が在籍するクリニックも増えており、通院先のクリニックに「心理士の相談を受けたい」と申し出ることが一番のアクションになる。また、NPO法人「Fine(ファイン)」の電話・メール相談窓口(0120-mica-aki)は無料で利用できる。
Q. 退職後に再就職するタイミングの目安はありますか?
「治療が一区切りついたら」という曖昧な基準ではなく、退職時点で「〇回の移植で結果が出なければ再就職を考える」というマイルストーンをパートナーと決めておくことを勧める。雇用保険の受給期間(原則1年)も再就職の時期を考える際の目安になる。受給期限が近づいたタイミングで就職活動を本格化させると、経済的な空白期間を最小化できる。
Q. 退職を「正解」だったと思えるようになりますか?
退職後に後悔する人も、後悔しない人も、どちらも実在する。退職自体の良し悪しより、退職後にどう過ごすかが「正解だったかどうか」の感覚を決める要素になる。治療以外の時間の使い方・パートナーとの対話・経済計画の3つを整えることで、退職後の充実度は変わってくる。
まとめ
不妊治療のために退職することに、絶対の正解も不正解もない。ただ、退職前に使える制度を使い切らずに辞めた場合は、後から後悔する可能性が高い。まずは職場の特別休暇・時短勤務・休職制度を確認し、それでも対応できない場合に退職を判断するという順番を守ることが重要だ。
それでも退職を選んだ場合は、家計の試算・治療期間の上限設定・社会とのつながりの確保という3つを早期に固めることが、後悔を減らす具体的なアクションになる。
治療の結果にかかわらず、自分の選択に納得感を持てるよう、情報をそろえた上で決断してほしい。
次のステップ
退職を検討している段階であれば、まずはクリニックの「不妊カウンセラー」または「看護師相談窓口」に「仕事との両立についても相談したい」と伝えてみよう。治療の進め方と仕事・生活設計を同時に整理できる。また、お住まいの都道府県の不妊専門相談センター(厚生労働省委託)では、治療と仕事の両立に関する無料相談も受け付けている。
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免責事項
この記事は医療・法律・財務情報の提供を目的としたものであり、個別の医療診断・法律判断・財務アドバイスの代替となるものではありません。治療方針は必ず担当医師と相談の上で決定してください。制度・法律の内容は改正により変更されることがあります。最新情報は厚生労働省・日本産科婦人科学会・加入健康保険組合の公式情報をご確認ください。体験談は実際の体験をもとに一部を加工・匿名化しています。
参考文献
- 厚生労働省「不妊治療と仕事の両立のためのサポートハンドブック」(2022年)
- 日本生殖医学会「生殖医療ガイドライン2023」
- 厚生労働省「両立支援等助成金(不妊治療両立支援コース)」
- NPO法人Fine「不妊ピア・カウンセリング相談事例集」
- 日本産科婦人科学会「ART(生殖補助医療)データブック2022」
最終更新日:2026年04月29日|医師監修
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